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サハラ砂漠2500km走破!「ガゼル・ラリー」
チーム「ニスモ・アルツ・ジャパン」紹介
2004年大会 ラリー競技レポート
メディア報道実績
2005年参戦に向けて



【4月21日/競技前日:エルフッド】
砂漠の楽園で、闘いの準備に追われる
 久しぶりに大きなふかふかのベッドで眠ったが、目覚まし時計よりも早く起きてしまった。やはり100%リラックスできてはいないらしい。朝食のついでにホテルを散策すると、砂漠の中の楽園そのものだった。でも私たちに遊んでいるヒマはない。オフィシャルから配布された競技用の地図12枚に、定規で計算用の印付けや数字の書き込みをしなくてはいけない。プールサイドのテーブルに地図を広げ、手分けして黙々ととりかかる。計算が1mmでも違っていたら、実際には約1kmも別の地点に行ってしまう。命とりだ。
 終わったら、今度はベストにメインスポンサーのロゴを縫い付ける。まさか砂漠の真ん中で針仕事をすることになるとは、人生わからないものだ。
 午後からは別のホテルに移動し、競技の重要なポイントとなる走行距離計測器が正確に動くかどうかの、試走行が行われた。ついでに私たちは、助手席前に取り付けてあるラリーコンピューターが作動するかもチェック。だんだんスタートが近づいている実感が濃くなる。夕食の後、最後のブリーフィングがあり、スタートのグリッドとグループが発表された。台数が多いため、A、B、Cの3グループに分かれ、それぞれ別のCP(チェックポイント)を目指すことになっている。スタートは、ABCの3台が30秒ごとにグリッドについて走り出す。なんと私たち127番は、Bグループの1台目だ。緊張感が一気に増した。
右上:ホテルはまるで楽園のよう。太陽がおしみなく光をそそぎ、人はみな気持ちよさそうにのびのびと過ごしている。そんな中、私たちは競技の準備に追われた。
右下:距離計測機が正確に作動するかを確認するため、ホテルから15kmほどの試走が行われた。前のクルマが巻き上げる砂のカーテンで、前がほとんど見えなくなるのには閉口した。



【4月22日/競技:エタップ1:エルフッド】
いきなり遭難の危機
 4時に起床すると、まだ砂漠は暗闇だった。5時からブリーフィング。なんとなくみんなザワザワしていて、気持ちがあせる。オフィシャルから、競技1日目のCPが発表された。といっても、緯度と経度、距離の数字が羅列している紙切れだ。その数字を、計算機を使って特殊な計算式にあてはめ、地図上のどこになるのかを自分で見つけださなくてはいけない。この計算が狂えば、CPを見つけるどころか野営地に戻ることさえできなくなる。みんな真剣だ。今日のCPは4か所。1つずつ確認しながらやっていたら、大変だ、もうスタートの6時が近づいている。
 水のペットボトルを忘れず積み、ヘルメットを被り、ドタバタの中なんとかスタートを切った。しかし10mほどでマシンを停め、他のチームと同じように、コンパスで進むべき方位を調べ、双眼鏡でその方向に目標物を探す。幸いちょうどよい大木があったので、そこに向かって走り出した。
 今の今まで、私は砂漠には砂地しかないと思っていた。そして永遠にフラットな路面だと思い込んでいた。これはとんでもない間違いだ。土、岩、砂利、草地、コンクリートのように硬い土漠。そして砂丘。斜面があれば段差や山、崖、ウエッドと呼ば
れる水無し川。路面にこんなにも種類があることを、生まれて初めて知った。
 さきほどの目標物に向かって、まっすぐに走っているはずだった。私もパートナーも、疑いもせずただひたすら走った。そしてCPの目印、赤い旗が見えてきた。通過スタンプをもらおうと用紙を差し出すと、「NO!」の答え。なんとここは、ちがうグループのチェックポイントだという。
 なぜ? 一度もミスをした覚えはない。私たちが信じてきた地図上の場所と、現実にいる場所が違う。一瞬にして、私たちは現在地を見失った。落ち着いて、もう一度ちゃんと方角を測り直し、再スタートする。しかしどうも、やはり地図上の地形と実際の地形が微妙に食い違っている。数時間後にもうひとつCPを見つけたが、それもNGだった。もう完全にわけがわからなくなった。どっちに進めばいいのやら、途方に暮れる。しかし停まっているわけにはいかない。進まない限り、ここで遭難するかもしれない。
 延々と走った。どのくらい時間が経ったのかもわからない。ふいに、見覚えのある国道にぶちあたった。宿泊したホテルへ続く道だ。私たちはこのチャンスを逃すと危険だと考え、CP通過を諦めて野営地に戻った。悔しさでいっぱいだった。
右上:朝、パンケーキとミントティーをつまみながら、CPの計算をこなしていく。時間がない。アセッて計算間違いをすることもしばしばだった。
右下:この競技を支えてくれるオフィシャルは、総勢約100人。食事の用意やシャワー、トイレなどすべての関係者と、参加者、メディアを入れると約600人の大所帯となる。



【4月23日/競技:エタップ2
:エルフッド→ネイジャック】
大ジャンプ、SOS、そして……
 昨日は野営地に戻るなりオフィシャルをつかまえ、自分たちがどこを間違ったのか、納得するまで質問し、教えてもらった。今日こそは、落ち着いてミスをせずにCPを見つけなくてはいけない。
 今日は野営地からスタート地点まで、連なって移動する。だんだん砂が深くなり、前方で何台ものマシンがスタックしているのが見える。と思っているうちに自分たちもスタック。1人1本スコップを持ち、砂をかく。朝いちばんから重労働である。砂質のせいなのか、何度やってもタイヤは砂から出てくれなかった。たまらずオフィシャルに牽引して引っぱり出してもらった。ハンドルを握るのは私。初めて砂丘を走る。野口さんから、砂丘ではある程度のスピードを維持していないと、すぐにスタックしてしまうのだと聞いていた。前方ではまた何台かがスタックし、行く手をふさいでいる。止まるか、大回りするか。私はスタックしたくないという強迫観念にかられ、大回りを選んだ。5m以上はある砂丘を越えた。
 その瞬間、私たちは宙に浮いた。「あっ!」と叫んだ直後にマシンは地面に叩き付けられた。エンジン停止。フロントガラスに小さなクモの巣ができている。恐る恐るドアを開け、マシンから降りた。フロントマスクがぐっちゃりと潰れている。リアは、テールランプが砕け散り、バルブが垂れさがっていた。バンパーがもげて後方に転がっている。野口さんはシートベルトをしていなかったため、助手席のラリーコンピューターにアゴをぶつけ、血を出していた。とりあえずエンジンは始動したのでオフィシャルの待つスタート地点まで移動するが、そこでショックが急に襲ってきて、動けない。ヘリコプターでドクターが駆けつけ、野口さんの手当をする。私はガムテープでライトの修理をしながら、恐怖と情けなさと、リタイヤだけはしたくないといった感情がこみあげてきて、号泣した。
 2人が我を取り戻して、野口さんがドライバーとなり再スタート。しかししばらくすると、突然ボンネットから煙があがった。助手席からインパネを覗き込むと、レッドゾーンをとうに越えている。すぐにマシンを停めるよう指示し、ボンネットをあげて休む。ラジエターに水を足し、水温が下がるのを待って走りだした。しかしまたすぐにレッドゾーン。バッテリーチェックまで点灯している。休む、走るを繰り返す。が、すれ違った他のチームに、SOSを呼んだ方がいいとアドバイスを受け、悔しさでいっぱいになりながら、緑のボタンを押した。これで大きなマイナスポイントを背負うことになってしまった。
 緊急メカニックサービスが到着し、その場で修理が始まった。待ち時間に、近くに住むベルベル人(砂漠の原住民)がお茶をご馳走してくれた。ラリーはこんなところでも、温かい出会いがある。修理を終えると、もう日没が近かった。またしてもCP通過ならず。
右上:ラジエターがイカれてしまった。工具を取り出し、即席でなんとかしようとする私。日本じゃこんなこと、したことないのに。
右下:クルマが止まったのは、たぶん昔は誰かが住んでいたのであろう、廃居が立ち並ぶ一帯。「elf」と書かれた段ボールを壁にしている家もあった。パリダカが通過した時に手に入れたのだろう。


【4月24日〜25日/競技:エタップ3(マラソン)
:ネイジャック→イハンダール】
夢にまで見た赤い旗
 いまだ1つもCPを通過できないまま、打ちひしがれて迎えた3日目の朝。今日の夜は野営地に戻ってはいけない。2日間ぶっ通しでCPをめぐる、マラソンエタップだ。なんとか今日こそはCPを通過したい。でも、スタートから延々と続くのは、大ジャンプ以来苦手意識が芽生えている、砂丘だった。スタックしては、スコップで黙々と砂をかき出し、抜け出す。一度スタックすると、40度を超える砂漠の中で30分は立ち往生してしまう。そんなことを10回以上は繰り返しただろうか。私は、マシンの屋根に登り、必死に赤い旗を探した。チラリと赤いものが見えた気がした。幻だろうか。胸騒ぎがする。スタックから抜け出して、そちらに向かって注意深くマシンを進めて行く。ひとつ、またひとつ砂丘を超えると、ついに旗が確認できた! 長い長いまわり道をして、ようやく辿りついた、私たちの初めてのCP。その旗に触れたとたん、どんどんあふれてくる涙をとめることができなかった。子供のようにわんわん泣いた。「日本人チーム、3日目にして初のCP到達。歓びの涙」のニュースはモロッコとフランスのテレビで放映されたらしい。
 これで少し自信を取り戻し、慎重に方角を確認しつつ次を目指す。CP3まで順調に通過したところで、日没。夜間の走行はリスクが高いため、そこで野宿することにした。他のチーム何台かで集まり、めいめいのテントを張る。日本からはるばる持ってきたインスタント雑炊の夕食だ。風が強く、なかなかお湯が湧かないが、満点の星空に見とれていると、そんな事は本当にちっぽけなことだった。
 翌朝、目を覚ますと周りのマシンはすでに出発していた。私たちも慌てて支度し、後を追う。CPO(全車通過義務のCP)を2つまわり、ミスに注意しながらCP4、5とクリア。徐々に地図上の地形と実際の地形を一致させる勘や、予測能力が磨かれていくのを感じた。
右上:3日目にしてようやく初めてのCP到達。嬉しさ、安堵、辛かった思いなどがこみあげ、涙がとまらなかった。
右下:大泣きしている2人を見て、メディアが「なんだなんだ」と集まってきた。インタビューを受けるが、興奮状態でうまく答えられない。結局、私の泣き顔はモロッコ中に放送されたらしい。



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