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サハラ砂漠2500km走破!「ガゼル・ラリー」
チーム「ニスモ・アルツ・ジャパン」紹介
2004年大会 ラリー競技レポート
メディア報道実績
2005年参戦に向けて

2004年大会 ラリー競技レポート 4月16日〜5月1日
 信じられないかもしれないが、このラリーに参戦するマシンはすべて、ドライバー&ナビゲーターが自分たちでモロッコのスタート地点まで運ばなくてはいけない。……たとえ地球の反対側から参戦するにしても、である。
 私たち日本チームは、パリから300kmほど離れた場所にガレージを構えるドゥスッド社からマシンを借り受け、パリにある野口の自宅に保管。そこからモロッコを目指すことになった。
 そのため、競技自体は約2500kmだが、往復の道程を入れると約6000kmを走破することになる。
 最初にことわるが、私はフランス初入国、もちろんサハラ砂漠を見るのも生まれて初めてである。
 今思えば、死んでもおかしくないくらい、無謀なことだった。
 そんな2004年度の第14回「ラリー・アイシャ・デ・ガゼル」を、ここでもう一度振り返ってみたい。



【4月16日/移動:パリ→セート】
山のような荷物を積んで、いきなり700km爆走!?
 朝早くから、マシンの荷室に積み込み作業が始まった。2人の着替えだけでも3週間分はあり、テント、寝袋、飲食料、パソコン、工具にエアプレッシャー、万が一の救急用品などなど。荷物はどんどん空間を塞ぎ、ついにバックミラーは何の役にも立たなくなった。この作業だけで1時間以上を費やし、パリを出発したのは10時半である。
 割り込み、クラクション、路駐天国のせわしないパリの中心部を、左ハンドルの日本車とそれを操るパリ初体験の日本人はなんとか無事に通過し、今日の目的地である南仏の港町『SETE(セート)』を目指す。パリ〜セート間はなんと、700km以上の道のりだ。高速道路に入り、リヨン方面へ。最近のフランスは速度取り締まりが厳しくなったというが、160km/h巡行でぶっ飛ばして行かなきゃ、集合時間の夜8時に間に合わない! 白バイならぬ青バイに気をつけ、途中ではピクリとも動かぬ大渋滞の洗礼を受け、日が暮れかけた頃にようやくセートの出口をくぐる。しょっぱなから冷や汗ものの1日であった。
右:パリにある野口さんの自宅わきに路上駐車する、わがチームのマシン。通行人たちから「ラリーに出るのか?」と質問を受けたりして、注目の的。……そりゃそうだ。



【4月17日/車検:セート】
「クルマ」が「マシン」になっていく
 昨夜はニスモ主催の食事会の後、キャンピング・ジュ・カステッラ(要はキャンプ場)に宿泊し、朝6時半に起床。8時から今大会最初のミーティングがスタートした。この入口で参加者たちはユニフォームとなるオリジナルベストを手渡される。フランスの人気デザイナー「マリテ+フランソワ・ジルボー」がデザインしたもので、これから再びこのセートに戻ってくる日まで、参加者は必ず毎日このベストを着用することになっている。ミーティングではこのラリーを女手ひとつで立ち上げ、ここまで成長させたドミニク・セラさんが挨拶する。パワフルで素敵な女性だ。
 その後、セートの中心街にある特設会場へ移動。セートはガゼル・ラリーのお祭りムード一色で、順番にゼッケンや大会スポンサーのステッカーがボディに貼られていく。MCが1チームずつインタビューし、私にむかって「日本でもミスター増岡(三菱パジェロのパリダカドライバー)はスターか?」と質問した。笑顔で「もちろんよ!」と答えた。
 外観は間違いなくラリーマシンになった。今度は車検場へ行き、セキュリティーチェックなどを受ける。競技ではGPS(衛星ナビゲーションシステム)が使用禁止だが、オフィシャルがマシンの居場所を把握するためのGPSがルーフに取付けられる。そして、パリダカのようにチームごとのサポートカーがいないガゼル・ラリーでは、万が一危険にさらされた時に押す緊急ボタンがルーフに設置された。赤いボタンがメディカル、緑のボタンがテクニカル用だ。……できれば使いたくないボタンである。命がけの競技であることが、急に身に滲みてきた。明日はいよいよ、フランスをあとにする。
右上:南仏セートの特設会場で、インタビューなどを受ける。この時はまだ顔がまるまるし、平和そのものだ。
右下:港の先端に設けられた車検場では、こうしてルーフにセキュリティー装置や主催者用のGPSが取り付けられていく。



【4月18日/スタートセレモニー:セート】
嵐の前のバカンス気分
 今朝も8時からのミーティングではじまった。チーム全員が紹介され、常連さんなどがおおいに盛り上げる。すべてフランス語なので、私は雰囲気を楽しんだ。今日までで覚えたフランス語は、ボンジュールの他にボナペティ(召し上がれ、いただきますのような意味)、アデュマン(また明日)、ダコール(了解!)、セ アキコ(私は亜希子です)、サンバンセット(127番)などなど。まだまだゼスチャーのお世話になる日は続きそうだ。
 マシンをゼッケン順に並べ、海岸沿いからセートの街中をゆっくりとパレードし、オフィシャルスタートのセレモニー会場に到着。そこにはすでに、ガゼルをひと目見ようと大勢のギャラリーが集まっていた。ビアグラスを片手にオジさまがヤジを飛ばす。赤いじゅうたんの上に1台ずつ進み、MCの紹介を受けると拍手大喝采。そしていよいよスタートとなる。  しかしモロッコゆきのフェリーの出航は夕方4時。それまでの空き時間は、マシンを停め、ぶらぶらとセートを散策した。やっぱり南仏といえば、地中海料理でしょ。ということでた〜っぷりとランチを楽しむ。こんなにバカンス気分を満喫しちゃっていいのかしら。
 ようやくマシンごとフェリーに乗り込むと、外は雨が降ってきた模様。フェリーが大きく揺れる。ううっ、この揺れ、イヤな予感。出航を見合わせていたフェリーは、意を決したのか大荒れの地中海に出て行った。この後2日間、私は気持ち悪くてほとんど船室のベッドから起き上がれず。
右上:スタートセレモニーは盛大に行われた。唯一の日本チームとあって、メディアやギャラリーの注目は相当なものだった。
右下:フランスからモロッコへは、フェリーで2泊3日ほどかかる。大会スポンサーでもあるCOMANAVへの乗船を待つ間、まだ見ぬアフリカ大陸へ思いを馳せる。



【4月20日/移動:タンジェ→エルフッド】
アフリカ大陸を全身で味わう
 史上最悪の船酔いからやっと復活したと思ったら、モロッコの大陸に到着した。長かった。モロッコの玄関口、『TANGER(タンジェ)』は、白い壁の建物がアフリカの強い太陽に反射してまぶしかった。茶色い人、黒い人、もっと黒い人、ターバンの人、洋服の人、子供、老人、ごちゃごちゃしている。TOTALのガソリンスタンドで給油し、サンドイッチのお昼ごはん。ここからサハラ砂漠の入口の街『ERFOUD(エルフッド)』までは800kmもある。今日中にたどりつけるだろうか。途中までは高速道路がある。といってもただ鋪装してあるだけの道で、すぐ脇で井戸端会議をする現地人がいたり、人や動物がよく横断するのを見かける。300kmほど走るとその高速道路は途切れ、一般道に放り出された。道と大自然以外なにもない中をひたすら走る。すっかり日が暮れたが、まだ400km地点だ。いくつかの小さな街を通過した。カフェや学校の建物はほとんど肌色をしていて、子供たちが手を振ったり近づいてきたりする。真っ暗な中をヘッドライトの明かりだけで走る。時折「人間に注意」の標識が立っている。ほんとうだ、脇から突然人影が飛び出してきてヒヤリとする。夜10時、ようやく大きな街『ERRACHIDIA(エラシッダ)』に入る。エルフッドまであと100kmというところで、偶然出会った4台のガゼルたちと合流し、カフェで夕食。深夜0時を少しまわった頃、この日の宿に辿りついた。シャワーの後、夕涼みがてら外で飲んだ、アラビア語ラベルのビールが全身に染み渡った。
右:なにかの遺跡のようなものから、ただただ広がる平野など、初めて見る景色が続くモロッコ。道は悪く、800kmを1日で走るのは大変だった。


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